本と感受性について

 大衆は個性的という画一化された1つの「個性」を望んでいる。けして本来の意味での個性的なものなど理解されるはずもない。それを人は肯定できないからだ。多種多様な人、それぞれが真なる意味での個性を発揮しているからこそ、種は存続する。
 中庸であることはなんて素晴らしいのだろうか。当たり前、普通であること、その意味について、僕はこれからも考えていきたい。
 
 と、まあたまにはこんなことも考えております。