斎藤純『オートバイの旅は、いつもすこし寂しい。』株式会社ネコ・パブリッシング 

『アウトライダー』というツーリング雑誌がある。元々月刊誌だったが一度休刊した。現在はバイクツーリングをメインとした隔月誌として8号まで刊行された。この雑誌は旅の風景写真がとても素晴らしく、見るたびに旅情がかき立てられる。つまりそれだけダイレクトに旅-ツーリング-という物を表現しているのだと思う。

さて、斎藤純とはその『アウトライダー』に数多く寄稿している小説家である。音楽や絵画についても洞察が鋭い人で、たんなる旅物語というよりは旅を通した1つの考察のようなものを感じる希有な人だと僕は思っている。現在、東京から故郷の岩手県盛岡市に戻られているようで、去年は盛岡市長選にも立候補されていたことを思い出した。(残念ながら落選されたようですが)

この本のあとがきでふれているが、著者は旅先を通り過ぎるライダーから、古里を見直すライダーになったと自己分析をしている。その変化は文章にも如実に表れている。(ような気がします)kawasakiのW650から旅の相棒がBMW R1150ロードスターに変わっているのも少しは影響があるのかもしれない。ツーリングは一人で行っても一人ではない。いつもそばには同じだけの苦労をする相棒、バイクがいるからだ。その相棒たるバイクが変わったことが旅に影響しないわけがない。

僕は斎藤純が書く小説も好きだが、紀行文はもっと好きだ。ツーリングというものはバイクを通した自己へのまなざしであるという彼の考え方は、とても理解できる。もちろん、楽しいからバイクでツーリングをするのだが、その本質とは意外と深い所まで繋がっているのではないだろうか。若いときには気がつかなかった物事の本質は身近なことから深淵なる世界を我々に見せてくれる。皆それぞれ、いろんな形でその世界を垣間見ていると思うが、僕たちにとってはそれがバイクであるということだろう。もう一つのキーワードは”本”だと信じている。

この本で、筆者は山と里という視点で地域を捉えている。現在、変容してしまったそれぞれの物事を少し前の人々の視線(江戸時代の絵師、文晁による『日本名山図会』)を用いてより鮮やかに描き出している。それぞれの点をバイクツーリングという線で繋ぐことでより、このエッセイ集が深みを増しているのだろう。

できれば多くのひと(とくにバイク乗り)にこの作者の紀行文を読んで貰いたいと願っている。感じるだけでなく考えることの意味に気づくことができると願って。



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