縄文時代観

縄文論争 (講談社選書メチエ)

縄文論争 (講談社選書メチエ)

著者の藤尾慎一郎の新たな縄文観は以下のようにまとめられる。

1.縄文文化とは新石器文化の中の東アジア類型として位置づけられる。ただし新石器文化とは更新世から完新世へ向かう気候変動*1に伴って、世界各地の人類が新しい環境に対応してできあがった文化と再定義する。

2.縄文人とは在来系後期旧石器時代人と渡来系後期旧石器時代人が祖系になるもので、新たに縄文人がどこからか渡ってくるものではない。

3.縄文時代に米は存在する。ただし弥生時代の稲作と違ってあくまで採取・栽培生活の一環にすぎない。弥生稲作と大きな違いは、余剰生産を目指したかどうかである。この定義でいけば、弥生時代的稲作を送っていたのは、前四世紀以降の九州北部、前三世紀以降の東海以西の西日本、前一世紀以降の東北中部以南の東日本だけである。

4.縄文時代から弥生時代への転換の一番大きな理由は、青銅器を祭具とする倹丹里型文化の担い手たちの渡来であろう。しかしその前に何度も渡来人はきており下地はできていた。

 三内丸山遺跡は様々に縄文の要素が一ヵ所に集中した遺跡として意義深い。他の遺跡で単発で出ていた、クリの管理育成、ヒョウタンなどの栽培植物の栽培、大型建物、巨大な構築物、盛り土遺構、クリ林の管理などが約35万ヘクタールの広大な空間に揃っている点が他と大きく違うことがわかる。今後の報告書刊行を待たれる。

*1:最終氷期の最寒冷期以降の大規模なもの